2024-02-01から1ヶ月間の記事一覧
短い期間でしたが、これまで見に来てくださった皆さん、ありがとうございました。「末日聖徒の日曜学校」はフェイスブックの方に統一することにしました。公開グループですので、よろしければ見に来ていただければ幸いです。(8) 末日聖徒の日曜学校 | Facebo…
福音の知る前はそのことに気づいていませんでした。いえ、正しくは「それが普通で、誰でもそんなもの」と思っていました。教会の人々に出会ったとき、とても驚きました。これまでに出会った来た人々とは違っていたからです。彼らは‟肉のための苦悩と罪のため…
聖文を読み、心に留まった言葉について考えます。思いついたことについて祈ります。そこで与えられた思いについて考えます。また祈ります。それを繰り返すとき、思いは次第に深まって行きます。‟深く考える”とはそういうことではないのでしょうか。御霊と語…
神権の祝福をしているとき、ひとつの言葉が心に浮かびました。「そんなこと言っていいの?」そんなことを思いながら、そのままに伝えました。祝福を終えた後、彼女はその言葉に思い当たることがあると話してくれました。忘れることのできない経験です。
そうであるなら、子どもが祝福を受けるなら両親にその報いがもたらされるということなのでしょうか。確かにそうですね。子どもたちが喜ぶとき、一緒に喜びます。彼らが苦しむとき、一緒に苦しみます。「一緒に」それは祝福かもしれません。家族と一緒に、愛…
宣教師は祈り方を教えました。「祈るとき、天のお父さまに呼びかけます。 次に感謝します。」祈る度に感謝することを探しました。「食べ物と健康に感謝します」そんな言葉を何回、何万回繰り返したでしょうか。あるとき、ふと思いました。「食べ物のない人、…
教会を知ったとき、教会員の家庭に生まれた人たちを羨ましく思ったものです。彼らのような環境に生まれたなら、人生は大きく違っていたでしょうね。「なぜ自分は福音を知らない家庭に 生まれたのだろうか」考えずにいられませんでした。教会員の家庭に生まれ…
「神の王国に救われるのはどのような人ですか?」いつもこう応えます。「主からどれほど離れていようとも、 その歩みがどれほどゆっくりであったとしても、 主のもとに向かって歩んでいる人を、 主が切り捨てると考えることができますか?」
誰でも望むならバプテスマを受けることができます。バプテスマを受けるなら罪の赦しが与えられます。衣は清められ、罪のない状態になれるのです。何と簡単で、何と素晴らしい祝福だと思いませんか。罪を赦されたなら、その赦しを保つ責任が与えられます。そ…
犬が鎖につながれています。それは少々邪魔ですが、届く範囲であれば問題なく行動できます。重さにも慣れました。愛する主人の姿が見つけ、駆け寄ろうとしました。鎖は音を立てて張り詰めました。それから先に行くことはできません。罪の鎖と呼ばれるものが…
ある人が麦の種を蒔きました。季節が来て豊かに実りました。彼は貧しい人にも、飢えている人にも、誰にも分け与えることなく、その収穫を倉に納めました。また、ある人が種を蒔きました。季節が来て豊かに実りました。貧しい人、飢えている人、必要としてい…
昨年の秋、ギックリ腰になりました。それ以来身体が疲れやすくなってしまいました。職場にお願いして、日曜と水曜を休みに、平日も忙しくないときは三時で終わるようにしてもらいました。これが老化現象というやつなのでしょうね w「福音を分かち合うために…
アーニャは14歳のとき、宣教師から福音を学びました。そんなある日、学校の授業で教師が教会とモルモン書について誤ったことを話しました。彼女はまだ求道者にすぎませんでした。しかし教師が間違っているのは分かりました。彼女は立ち上がり、「それは誤り…
心に偽りのあるとき、平安はあるでしょうか。苛立ちや怒りのあるとき、不平不満のあるとき、誰かを赦せないときはどうでしょう。悪人だなんて言うつもりはありません。そんなことを言われたら、わたしは悪人です。どうすれば平安を取り戻せるでしょうか。知…
不平不満や怒りのあるとき、焦りやストレスのあるとき、この世のものに心を奪われているとき、心は鈍ってしまうようです。すると、祈りの気持ちを忘れてしまいます。自分が何のために生きているのかも、愛も信仰も、御霊に頼ることも、感謝も見失っているか…
エホバはその力によって地球を創造しました。人の目には奇跡的なことです。主がその奇跡的な力と愛、その命と持てるすべてのものをかけたとしても、人がそれを受け入れなければ、人ひとりの救いを達成することはできません。主はすべての備えを終えました。…