2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧
死を恐れる気持ち、それはわたしにとって祝福でした。その気持ちが失われていたら、きっとこの世にいないと思います。(ほぼ間違いなく)不思議なものですね。苦しくて、死ねば楽になれると思っていたときは死を恐れていました。そんな気持ちがなくなると恐…
悔い改めるとは‟できる善を行う”ことです。「自分はできることを行っているだろうか」そう問いかけるとき、答えはいつも‟NO”です。つまりまだ悔い改めるべきことがあります。できることを行えば、主は次を与えます。終わりはありません。悔い改めは成長です…
悲しいニュースを聞くことがあります。母親が幼い子どもに食べ物を与えず、子どもは飢えて亡くなりました。ある人が言います。「なぜ神はその子を救わなかったのか?」世界中で今この時も戦争や争いによって多くの人が苦しんでします。「神はなぜ人々を救わ…
ある人が言いました。「偽りの教義はインスティーチュートから出る」インスティーチュートが偽りを教えているという意味ではありません。出所不明、真偽不明の話に「インスティーチュートで教えられた」と付け加えると、信じてしまう人があるのだそうです。…
「報復したい相手…」考えてみました。これまでに色々なことがありました。思い出したくもないこともあります。二度と会いたくない人もいます。でも‟報復”となると誰も思い当たりません。むしろ関わってくれたすべての人に祝福があるようにと願っています。こ…
「主に頼らなくても大丈夫かな」上手くいくと無意識のうちにそんな気持ちになってしまいます。「主の助けが必要です」上手くいかないと主を思い起こし、熱心に祈り求めます。わたしの人生は上手くいかない方がいいのでしょうか。その方が主の近くにいられま…
かたくなとは‟意地を張って自分の主張や態度を変えないさま”だそうです。幼い子どもが親に対して意地を張るときがあります。彼らは親にどれほど依存しているのかを知りません。自分だけでは生きて行けないことに気付いてもいません。親が視界から消えると不…
福音を知る前、御霊に頼ることを知りませんでした。自分には頼れる力がありませんでした。いつも不安で、周りの人に頼りました。何が正しいかではなく、頼れるものが欲しかったのです。今になって考えると、よく無事でいられたものだと思います。「善悪をわ…
一日を終えて家に帰ると、先に帰っていた息子が迎えてくれます。「お帰り、お疲れさま」わたしが先に帰っているときはわたしが言います。「お帰り、お疲れさま」ホッとするひと時です。一生を終えて天に帰るとき、先に帰っていた人たちが迎えてくれるのでし…
「悲しむ者と共に悲しみ」モーサヤ18:9共に悲しむことができるときもあります。できないときもあります。(薄情者と言われそうですが)できるのは‟主の前にへりくだる悲しみ”です。できないのは‟怒りを伴う悲しみ”です。前者は悔い改めに至ると思います。後…
高校生の頃、いつも仲間とつるんでいました。(‟つるむ”なんて、もしかして死語でしょうか)仲間同士で情報を交換し合い、教え合い、行動をコントロールすることさえもありました。それってひとつの教会ですよね。大人になった今もそんなグループを見ること…
「もう少し寝ていたい」毎朝、目覚めるときにそんな気持ちがあります。暖かい布団の中でまどろむのが心地よいからです。でもその気持ちに従えば、一日を台無しにすることを知っています。だから眠い目をこすりながら、今朝も布団から出て、今この記事を書い…
昨日、職場の奢りで回転寿司に行きました。若い頃ほどは食べられませんが、「もうムリ!」とギブアップするまで食べました w「この祝福に感謝します」その一言で終わりでしょうか。お腹いっぱいに食べられる健康に感謝です。職場に感謝です。一緒に喜べる仲…
知人に性同一性障害の人がいます。平日は男性なのですが、休日にはメイクしてすっかり女性です。彼女(?)は言います。「自分のような人が認められる時代が来ました」同性婚や性の変更など、世の中は寛容になりつつあるようです。「教会もこの世の変化に合…
彼らはスマホを持っていたでしょうか。車やエアコン、柔らかいベッドはあったでしょうか。ということは、そのようなものと幸せとはあまり関係がないのかもしれません。「いや、豊かな現代の方が絶対に幸せなはず」そう思う方はこの投稿をスルーしてください …
イスラエルとパレスチナの紛争がニュースになっています。ロシアとウクライナの戦争も気になります。他にも世界中で多くの争いが起きています。家庭の中はどうでしょうか。ある人が言いました。「もしも世界中の家庭に平和があるなら、世界中にある争いのほ…
昨年暮れのことです。フェイスブックのアカウントを削除しました。「わたしは自分教会を作ろうとしていないだろうか」そう感じたからです。ご迷惑とご心配をおかけしたかもしれません。申し訳ありませんでした。毎朝、好き勝手な思いをここに投稿しています…
見当違いの話を聞くことがあります。「冗談でしょ w」つい心に思ってしまいます。そして反省します。たぶん、主にそんな態度はありません。あざける:軽蔑し、悪く言うはねつける:にべもなく断る、拒絶嘲笑:見下し、バカにした笑いそこに愛があるとは思え…
スマホが使えなくなるとどんなことが起きるでしょうか。買い物ができない、仕事ができない、生きて行けないと言う人まであるそうです。かなり大変みたいです wキリストを否定するとは「御霊なんか要らない」ということです。御霊が失われるとどんなことが起…
神の御心に従いたい気持ちはあります。でも神の御心とは異なるであろうものにも興味があります。福音に感謝しています。でも福音とは関係ないことも楽しんでいます。御霊と共に生きることが目標です。でも時には息抜きも欲しいです。福音を楽しんでいますが…
「わたしたちは彼らのことを気に留めなかった」1ニーファイ8:33サタンの誘惑を気に留めないなら、彼はそれらの人を誘惑することができません。「これらの人々を気に留めた者は皆、道を外れてしまった」1ニーファイ8:34誘惑を気に留めるとき、それは心の中…
すべての人は神から祝福を受けています。自分の存在、地球があること、生きることのできる環境、健康、思考力、家族や友人、昼と夜、足元に転がっている石、空気中に漂っているホコリでさえも神の祝福です。神を知っているなら否定できない事実です。それら…
キリストが裁きの席に着き、一人ひとりがその前に立つのでしょうか。わたしはそのようには考えていません。そのとき、誰もが前世でのことを三つ思い出します。・天父の計画とその目的を知っていたこと・それを喜び、自らの意思で受け入れたこと・天父と主の…
もしかするとわたしたちは彼らに会っているかもしれません。「そんなこと、あり得ないでしょ」そうかもしれないし、そうでないかもしれませんよ wこの世に生まれて福音に出会うまで、天使によって守られていたと思えることがいくつかあります。もちろんその…
キリストの教えには祝福の約束が伴います。その約束が果たされないとしたらそれはなぜでしょうか。福音が偽りなのか、それとも教えられたとおりに行っていないのか、そのどちらかです。福音の教えるとおりに行うなら、約束されたとおりの祝福があります。主…
改宗した頃、モロナイの約束にある聖霊は誰もが同じように受けると思っていました。そんなとき、このように教えられました。「聖霊は神の御心のままに与えられます。 その与えられ方は人それぞれに異なります。」色々な人の証を聞いてみたいですね。できれば…
天父とイエス・キリストがジョセフを訪れました。その時、彼は体のままであったのでしょうか。それとも体を離れていたのでしょうか。なんだか好奇心をくすぐられますね。わたしの思いは後者です。ジョセフの霊が御霊によって天父と主のもとに引き上げられた…
わたしたちもその小さなものを経験しています。心に感じていることを言葉で表すことができないと感じたことがありませんか。モルモン書を読んで心に思ったことをここに投稿しています。でも、二百字前後の短い文章で伝えられるものには限界があります。とて…
「主とわたしは一つです」天父の前でそう言えたらいいですね。今のわたしには妄想レベルです w「あなたとわたしは一つである」主からそう言われたなら、その喜びはどれほどのものでしょう。「あなたはわたしの思いに反することを求めないので…」ヒラマン10…
「モルモン書を読みましょう」その言葉を喜ぶのは日々モルモン書を読んでいる人です。後ろめたさを感じる人もあるかもしれません。さらに喜ぶことのできるのは、日々、モルモン書に記されていることについて深く考え、啓示を受け、その恩恵の中に生きている…