末日聖徒の日曜学校

今年はモルモン書から学んでいます。

「報復はわたしのすることである」モルモン3:15

「報復したい相手…」
考えてみました。
これまでに色々なことがありました。
思い出したくもないこともあります。
二度と会いたくない人もいます。

でも‟報復”となると誰も思い当たりません。
むしろ関わってくれたすべての人に
祝福があるようにと願っています。
こんなわたしにはこの言葉に
コメントすることはできそうにありません。

報復を望むということは、
忘れられず、赦すことなど到底できない、
余程の事情があるのでしょうね。
「何も知らないくせに!」と言われそうです。
たぶんそのとおりです、申し訳ありません。
(先に謝っておきます)

この世で最も憐れむべきは
‟赦せない心”かもしれません。
怒りに支配され、
心の平安よりも報復を求めるとしたら、
そこに幸せはあるのでしょうか。
報復が実現すれば、
その瞬間だけは喜びがあるかもしれません。
でもそこに幸せがあるとはわたしには思えません。

「あなた方にはすべての人を赦すことが求められる」教義と聖約6410
なぜ主は赦すことを求めるのでしょうか。
人の幸せを願っているからです。
‟赦しの心”は心を解放し、
平安と幸せをもたらします。

わたしはそう感じています。